義母4姉妹の恒例行事
夫の母は仲良し4姉妹の長女。毎年正月2日に姉妹の家族が集まるのが恒例で、開催場所は4軒を順番に回していました。
私たちが結婚した年は義母の番だったのですが、「新婚家庭を見たい」という親戚一同の要望から、15人が我が家に押し寄せました。当時は私が仕事をしていなかったこともあり、早めに準備を始め、なんとか乗り切ることができました。
それから4年後、再び義母の順番が回ってきた時のこと。義母は「私はもう年だから無理」と言い出し、夫が「じゃあ、またうちでやるか」と安請け合い。私の知らないところで、我が家が会場に決まってしまったのです。親戚は、従兄弟たちが次々結婚し、総勢22人に増えていました。
年末繁忙期の妻に、寝正月の夫
当時、私は生花店に勤務しており、年末は大繁忙期。30日まで休みが取れない状況でした。「22人分の準備なんて無理。断って」と頼んでも、夫は「みんな楽しみにしてるから。それに料理は持ち寄りだから、大丈夫だよ」と取り合いません。
夫は、さすがに買い物は引き受けてくれたものの、大晦日の夜からはお酒を片手にテレビの前でゴロゴロダラダラ。私は大晦日も元旦も、掃除と料理に追われ、のんびり座る余裕さえなかったのです。
台所に崩れ落ちた夜
正月2日、22人の親戚が到着。料理はそれぞれ持ち寄ったものと私が用意したものでかなりの量がありましたが、出しても出してもすぐになくなり、洗い物が次々運ばれてくるので、私は一日中、キッチンとリビングの往復でした。夫が親戚達と楽しげに盛り上がり、やたらとはしゃぐ様子に、私のイライラは爆発寸前。
嵐のような宴の後、キッチンの山積みの洗い物を見て深いため息をつき立ち上がった瞬間、腰に激痛が……。動くこともできず、その場に崩れ落ちました。ぎっくり腰でした。
病院も休みで、そのまま寝ているしかありません。今度は私が正真正銘の寝正月となり、代わりに夫がキッチンの片付けと休み中の家事全般を担当することになったのです。
見直された「正月の常識」
夫と義母は、私が年末まで仕事をしていたことを後で知った叔母たちから、「働く嫁に任せきりなんて非常識」と、かなり責められたそうです。
それ以来、私が生花店で働いている間、正月の集まりが我が家で開かれることはありませんでした。
そして、従兄弟たちに子供が生まれ、総勢30人を超えた年から、全員が集合することもなくなったのです。
親戚に良い顔をしたかった夫が、すべてを私に押し付けた結果、家事の大変さを身にしみて知ることになったお正月でした。
【体験者:60代・女性会社員、回答時期:2025年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。

