予期せぬ来店
早苗が働く老舗の高級フレンチレストランは、静かに食事を楽しんでいただくため、小学生以下のお子様には来店をご遠慮いただいていました。ある日のこと、初めてご利用のお客様がご家族で来店されましたが、その中に明らかに中学生には見えないお子様がいらっしゃったのです。
予約時に中学生以上か確認をしていましたが、お父様は「子供が小学校高学年で、大人のコースを食べるのだから大丈夫」と思い、正確に伝えなかったようでした。
通常であれば入店をお断りし、100%のキャンセル料をいただくのがルールですが、お子様連れのご家族に冷徹にルールを突きつけることに早苗はためらいを感じました。
そうしてレセプションで早苗が対応に苦慮していると、同じ時間に予約をしていた常連のお客様が到着されました。
常連客が示した「上質」な配慮
常連客は、ご家族の様子を一目見て事情を察したようで、早苗にそっと耳打ちしました。「私が予約している個室を使っていただいたらどうですか? 個室なら他のお客様の目も気にならないでしょう」思いがけない申し出に、早苗は驚きました。
さらに信じられないことに「室料は僕に付けてくれていいですよ。せっかくご家族で来られたんだから、気持ちよく食事してもらいましょう」早苗は、その計り知れないご厚意に深く感謝しました。
新たな常連客
結局、室料はどちらのお客様にも請求しませんでしたが、常連客のご厚意はご家族の心に深く刻まれたようでした。
それから数年後、そのご家族から再び予約が入りました。予約当日、中学生になったお子様を伴って来店されたお父様は、前回の出来事についてこう話されました。
「前回は自分勝手な思い込みで子供を連れてきてしまい申し訳なかった。お料理も本当に美味しかったが、それ以上に常連さんとお店の信頼関係に感動しました。こういう上質な店で食事をすることは、社会勉強として何より重要だと思ったんです」
それ以来、ご家族は記念日ごとに訪れる新たな常連客となりました。
老舗を育むのは「お客様の心」
早苗は、「老舗」というものは、店だけが作り上げるものではないと実感しました。店の格式や料理の味はもちろん大切ですが、それと同時に、その店を愛し大切にしようとする「お客様の心」によって育まれていくものなのだと。
あのご家族のお子様も、いつか大人になり自分の家族を持った時に、きっとまたこの店を訪れてくれるのではないでしょうか。そう思うと、早苗の胸には温かいものが込み上げてきました。そして、これからもこの場所で、多くのお客様と共に新しい歴史を紡いでいくことに幸せを感じたのでした。
【体験者:60代・会社員、回答時期:2025年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。

