ご新規のお客様
私が働く脱毛サロンに、新規のお客様Aさんが来店されました。お腹が大きく、ひと目で妊婦さんだと分かるほど。サロンでは「妊娠中の機械脱毛は禁止」「WAX脱毛は産婦人科医の同意書があれば可能」と決められています。予約画面にも明記されているため、その旨を丁寧にお伝えしました。
するとAさんは「そんなの知らない! 同意書なんてない! 明日から入院だから今日絶対脱毛しないと困る!」と強い口調で訴えてきます。
妊娠中の施術は母体にも赤ちゃんにも影響が出る可能性があります。だからこそ、医師の同意書なしに施術することはできません。
歯科医の同意書?
私は「同意書がない場合は施術できません」とお断りしました。するとAさんは「父が歯医者だから、今から書いてもらいます!」と言い出したのです。産婦人科医の同意書が必要だと説明すると、「父親のほうが信頼できるでしょ!」と声を荒げるAさん。
その場で怒りながら父親に電話をかけましたが、電話口の父親は「何言ってるんだ。無理に決まってる」と一蹴。Aさんはその場で泣き崩れました。
見かねた店長がペットボトルの水を差し出すと、「冷たい水って妊娠中に良くないんですけど?! そんなことも知らないんですか?」とさらに取り乱すAさん。不安と焦りが混ざり合い、心の余裕が完全に失われている様子でした。
先生の登場
店長が「他のお客様の迷惑になるようでしたら退店を……」と言いかけたその時、次の予約のお客様がご来店。そのお客様がAさんを見るなり「あれ? Aさん?」と声をかけたのです。Aさんは涙を拭いながら「先生!」と嬉しそうに返事。
スタッフ全員が「まさか、かかりつけ医が奇跡的に登場?」と期待しました。しかしその“先生”は、習い事の先生でした。Aさんが事情を説明すると、先生は穏やかな声で言ったのです。「残念ね。でも脱毛しなくても、あなたは美しい女性よ。自信をもって出産に臨みなさい」と。
その言葉は、Aさんの心にすっと染み込んだようでした。先ほどまで取り乱していたAさんは、嘘のように落ち着き、「はい!」と明るい返事をし、「産後また来ます!」と笑顔で帰っていったのです。
必要なこと
かかりつけ医ではなかったものの、先生の言葉はAさんにとって“最高のメンタルケア”となりました。不安、緊張、焦り。出産前の心は揺れやすいもの。だからこそ、否定ではなく包み込む言葉が、Aさんの心を救ったのだと思います。
もちろん安全のためにルールは守らなければなりません。しかし寄り添う姿勢を忘れずに対応していきたいと改めて実感しました。
否定の前にまず共感する姿勢。それは接客に限らず、あらゆる場面で求められる大切な力なのだと思います。人は、いきなり突き放されるよりも、気持ちを受け止めてもらえた瞬間に救われることがある。私自身、その温度差に助けられた経験が何度もあります。共感という小さな一歩が、人間関係を柔らかくする鍵なのかもしれません。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2026年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:桜井ひなの
大学卒業後、金融機関に勤務した後は、結婚を機にアメリカに移住。ベビーシッター、ペットシッター、日本語講師、ワックス脱毛サロンなど主に接客領域で多用な仕事を経験。現地での出産・育児を経て現在は三児の母として育児に奮闘しながら、執筆活動を行う。海外での仕事、出産、育児の体験。様々な文化・価値観が交錯する米国での経験を糧に、今を生きる女性へのアドバイスとなる記事を執筆中。日本でもサロンに勤務しており、日々接客する中で情報リサーチ中。

