誰より頼られていた派遣社員
私の部署にいた真紀さんは、とにかく仕事が早い人でした。電話対応は丁寧で、資料作成も正確。忙しい時ほど周囲をよく見ていて、誰かが困っていると自然にフォローに入るのです。
繁忙期になると、上司が「真紀さんがいないと回らない」と口にするほどでした。そんな姿を見ていたので、契約社員から正社員への推薦が出た時も、みんな納得していました。
「これは絶対受けるよね」周囲はそんな空気だったと思います。私自身も、正社員になれるのは“成功”に近いことだと思っていました。
以前の会社で壊れてしまった
でも、ある日休憩中に、真紀さんが以前の働き方について話してくれたことがありました。前の会社では正社員として働いていたそうです。ただ、毎日残業続きで、帰宅は終電近くになることも珍しくなかったとのこと。
仕事ができるという理由で、後輩のフォローやクレーム対応まで集中して任されてしまうため、休日にも連絡が入り、頭の中から仕事が消えない状態だったそう。「ちゃんと休んでいるつもりでも、ずっと気が張っていたのです」そう話した真紀さんの表情が、少しだけ曇ったのを覚えています。
その後、体調を崩して退職。しばらく休んだあと、今の会社に派遣として入社したそうです。「定時で帰って、普通に夜ご飯を食べられるだけで幸せだった」その言葉が妙にリアルでした。
正社員を断った理由
後日、部長との面談で正式に正社員登用の話が出ました。給与も待遇も上がる内容だったので、同僚たちは「もったいないから受けた方がいい」と背中を押していました。でも真紀さんは、「今回は辞退します」と即答したのです。
理由を聞かれた時、真紀さんは少し笑いながらこう言いました。「社員になると、“できる人だから”って仕事が全部集まるでしょう?」その場が少し静かになりました。そして続けて、「前の会社で、それが当たり前になって壊れたので、もう同じ働き方には戻りたくないんです」と話したのです。
最初は驚いていた上司も、最後には「それも大事な選択だね」と静かにうなずいていました。
肩書きより大事なもの
私はそれまで、「正社員になる=正解」だとどこかで思い込んでいました。でも真紀さんを見ていると、働き方に正解は1つではないのだと感じます。
真紀さんは仕事が嫌いなわけではありません。むしろ、責任感が強くて真面目な人です。だからこそ、“無理を続ける働き方”を避けたかったのでしょう。今でも真紀さんは職場で頼られる存在です。ただ、以前よりずっと穏やかな顔で働いている気がします。
「肩書きより、自分が普通に暮らせることを大事にしたい」あの言葉を聞いてから、私自身も働き方について考えるようになりました。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2026年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:佐藤 栄祠
大手メーカーの営業を経て、ライターに転身。会社員時代に培った経験と、組織の一員であるからこその“喜怒哀楽”をリアルに伝え、「誰かを癒したい」との思いが執筆の原動力。スピリチュアル関連情報にも精通しており、それらに傾倒する人の思いを描いたエピソードも好評。

