接客業では、どれだけ丁寧に対応しても、理不尽なクレームや疑いを向けられることがあります。今回は、私の知人・英子(仮名)が旅館で働いていた時、あわや警察沙汰! という事態になった、強烈なお客様とのエピソードをご紹介します。
「とても細かいお客様です」
私が旅館で働いていた時の話です。ある日、50代後半のご夫妻がお泊りになられました。初めてのお客様で、旅行会社からの申し送りには、「とても細かい点を気にされるお客様なので、くれぐれも配慮をお願いします」とありました。客室係に指名された私は、お出迎えから客室への案内まで、普段以上に神経を使って対応。
ご夫妻は客室に入るなり、「いい部屋ね」と穏やかな表情を見せてくださり、その様子に正直ほっとしたのを覚えています。
「上の足音がうるさい!」
しかし、その安堵はほんの束の間。30分も経たないうちにフロントの電話が鳴り、怒声が飛び込んできました。「上の部屋の足音がうるさい! 静かにさせろ!」
ご夫妻のお部屋は、旧館の木造の客室。古い建物がかえって情緒があると評判のお部屋です。音は多少響きますが、ご夫妻の部屋の上は年配のご夫婦。ばたばた歩き回るとは考えられませんでした。
お詫びをしながら、「もし気になるようでしたら、新館のお部屋をご用意できますが……」と提案しましたが、ご主人は「この部屋が良い」とおっしゃり、そのまま宿泊することになったのです。
その後も夕食の席では、「料理がぬるい」、「出てくるのが遅い」、「味が濃い」と苦言の数々。私たちはその都度謝罪し、できる限りの対応を続けました。
時計紛失事件、勃発
極めつきは、翌朝のこと。再びフロントの電話が鳴り、「今すぐ部屋に来い!!」ただ事ではない口調に、慌てて支配人と私で部屋へ向かったところ、奥様の腕時計がないというのです。
荷物をすべて確認しても見当たらない。朝食の時には時計をしていなかったから、誰かが部屋に入って盗んだのではないか。布団をあげに来た係の仕業ではないか――まるで、そんな言い方でした。
「最後に時計をされていたのは、いつ頃でしょうか」「館内で、ほかに立ち寄られた場所はございませんか」そう順を追って尋ねても、ご夫妻は聞く耳を持ちません。
「そんなことより、早くスタッフを調べた方がいいだろ」挙句の果てには、「警察を呼べ」とまで言い出したのです。
見つかった時計と、残った沈黙
それでも私たちは、根気よく質問を続けました。夕食会場、大浴場、朝食……。すると、奥様の表情がふと変わり、何も言わずに立ち上がって部屋を出ていきました。
しばらくして戻ってきた奥様の手には、腕時計がありました。前日の移動中、車の中で外しそのまま置き忘れていたのだそうです。気まずい沈黙が流れ、ご主人は小さな声で、「お騒がせしたみたいで……」と言ったきり、それ以上は何も言いませんでした。
ご夫妻が帰られた後、支配人は旅行会社に連絡を入れました。宿泊中の一連の出来事を共有したうえで、「いつもお世話になっていて申し訳ありませんが、今後このお客様のご送客はお断りいたします。当館では、配慮にも限度がありますので」旅行会社の担当者は恐縮した様子で、「承知しました」と答えたそうです。
旅館は、宿泊される全てのお客様に最高のおもてなしをしたいと心を尽くしています。それと同時にスタッフの働きやすさも守らなければなりません。たとえお客様であっても、他のお客様の迷惑になったり、スタッフを傷つける言動まで受け入れる必要はないという支配人の判断で、私のモヤモヤした気持ちが晴れた出来事でした。
【体験者:20代・接客業、回答時期:2022年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。

