いつも電話をくれる常連さん
私が調剤薬局で働いていた頃、常連の森沢さんという60代の男性がいました。毎朝の散歩が日課で、通院している病院の前もそのルートのひとつ。健康意識が高く、おしゃべり好きで、よく薬局に電話をかけてきてくれる方でした。
薬や食事の相談から最近のニュースまで、話題はさまざま。最初は「ひとり暮らしだから寂しいのかな?」と思っていましたが、声のトーンがいつも明るく、どこか楽しそうでした。話しているうちに、こちらもつい笑顔になってしまうような人です。
始まる“病院実況中継”
ある日を境に、森沢さんの電話に新しい“ネタ”が加わりました。「今日は病院ガラガラや! そっちも暇やろ?」「今日はえらい混んでるわ! 今からそっちも忙しくなるな!」と、病院の混雑状況を、まるで中継のように報告してくれるのです。
最初は驚きましたが、どうやら「薬局のみんなに役立つ情報を届けたい」という純粋な気持ちからのようでした。たしかに病院が混んでいると、薬局も自然と忙しくなります。意外と的中率も高く、「予報通りだね」と笑ってしまうこともしばしばでした。
ありがたいけど、ちょっと困る
とはいえ、電話がかかってくるのは決まって開店準備や朝の対応でバタバタしている時間帯です。「今日は忙しくなりそうやな!」と電話してくる森沢さんに、「そうですね。今ちょうど混んできてまして……」と困っていることをやんわり伝えるのですが、すかさず「ほらな! 言った通りやろ!」とご満悦。その調子の良さに、こちらも苦笑いで「そうですね〜」と返すのが定番でした。
なんだか憎めない日課
そんな日々が続くうちに、気づけばスタッフの間でも「今日は病院どうなんだろうね。森沢さん、教えてくれるかな?」と冗談まじりに話すようになっていました。
電話がない朝は、逆に少し物足りない気がするほどです。「忙しくても、あの人の声を聞くと不思議と和むよね」と、みんなで笑い合ったこともあります。
ちょっと困るときもあるけれど、どこか温かい。森沢さんの“病院実況中継”は、私たち薬局スタッフにとって、すっかり朝の恒例行事になっていました。
【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2022年3月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:辻 ゆき乃
調剤薬局の管理栄養士として5年間勤務。その経験で出会ったお客や身の回りの女性から得たリアルなエピソードの執筆を得意とする。特に女性のライフステージの変化、接客業に従事する人たちの思いを綴るコラムを中心に活動中。

