出ない母乳
第一子を無事に出産した私は、産婦人科で入院生活を送っていました。その病院は母乳育児を強く推奨しており、なるべく粉ミルクを使わない方針。私自身も母乳で育てたいと願っていたものの、なかなか出ない母乳。体重が減っていくわが子を見ながら、周りの母親たちが母乳を与える姿に焦りと悲しさを募らせていました。
涙の夜間授乳
退院前日になっても状況は変わらず母乳は出ません。特に夜間授乳は過酷でした。眠いのに母乳は出ない。隣で泣き続けるわが子。どうすることもできず、ついに涙がこぼれ、止まらなくなりました。そんな時に真夜中、見回りに来た看護師さん。思わず愚痴をこぼすと、その看護師さんは笑顔で「そのうち出るようになるから大丈夫よ」と声をかけ、泣く娘を抱き上げてあやしてくれました。娘はすぐに安心した表情を浮かべ、そして眠ってくれました。
姿の見えない彼女
その夜、私は久しぶりに深く眠ることができました。翌朝、感謝を伝えようと病棟を探すも、あの看護師さんの姿はどこにもありません。その後も母乳外来に通うたび、目を凝らして探したが一度も会えず、ついには婦長さんに「どうしてもお礼を伝えたい」と相談しました。しかし私が語った風貌の看護師は、産科にも小児科にも婦人科にも存在しないと。しかも「こうした話は初めてではない」と言うのです。
不思議な助け手
やがて少しずつ母乳が出るようになり、母乳外来も無事卒業。今では元気に育児に励む毎日を過ごしています。
それでも、あの真夜中の出来事は鮮やかに残っている姉。泣き疲れた新米ママを救った、あの優しい手。存在しないはずのなにかが確かにそこにいて、母子を支えてくれたのです。あの産婦人科には、夜中の新米ママを見守る、不思議な看護師さんがいるのかもしれません。
【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2025年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:佐野ひなの
大学卒業後、金融機関に勤務した後は、結婚を機にアメリカに移住。ベビーシッター、ペットシッター、日本語講師、ワックス脱毛サロンなど主に接客領域で多用な仕事を経験。現地での出産・育児を経て現在は三児の母として育児に奮闘しながら、執筆活動を行う。海外での仕事、出産、育児の体験。様々な文化・価値観が交錯する米国での経験を糧に、今を生きる女性へのアドバイスとなる記事を執筆中。日本でもサロンに勤務しており、日々接客する中で情報リサーチ中。