夢に描いた「紫のバラのブーケ」
7月のある暑い日、一組の若いカップルが来店されました。来月にはホテルで挙式・披露宴を控えているとのこと。準備は順調に進んでいるそうですが、ただ一つ、ウェディングブーケだけが未定だというのです。
新婦のA様は以前から、お色直しに「紫のバラのブーケ」を持つのが夢だったそうで、そのために淡い紫のドレスまで既に用意されていました。ところが、ホテルの装花担当者から「8月に紫のバラは手配できない」と断られてしまったそうです。他にも何軒かフラワーショップに相談したものの、どこも返答は同じ。最後の望みをかけて、私たちの店を訪れたのでした。
不可能への挑戦
その当時、真夏に紫のバラはほとんど市場に出回っていませんでした。仮に手に入ったとしても花が小さく、ブーケの主役としては決してお勧めできません。懇意にしている仲卸や生産者に相談しても、返ってくるのは「難しいねぇ」の一言ばかり。それでもA様は「小さくても構わないので、紫のバラを使ってほしい」と、決して諦めようとはしませんでした。
私たちもその強い想いに心を動かされ、バラ専門の生産者を片っ端からあたり、ようやく仕入れに成功。しかし、届いた箱を開けると、花は想像以上に小さく硬い蕾の状態で、とてもウェディングブーケの主役を張れるような状態ではありませんでした。
火が付いたフローリスト魂
「最高のブーケを届けたい」――スタッフたちのフローリスト魂に、一気に火がつきました。式までの一週間、硬い蕾が開くよう水揚げ促進剤を使ったり、徹底した温度調整を行ったりと、大切に見守り続けた結果、前日には見事に花が咲き揃いました。しかし、やはり一つ一つの花は小さい……。
そこで、ベテランスタッフの技を総動員し、小さな花びらを幾重にも重ねて大輪に見せることにしたのです。細やかな作業は時間も手間もかかりましたが、「ここがフローリストの腕の見せどころ!」とばかりに、皆が夢中になって仕上げていきました。
新婦の涙とフローリストの喜び
完成したブーケは、上品で美しく、スタッフも思わずガッツポーズが出ました。
A様にお届けした瞬間、「無理なお願いをしてしまったと後悔していたんです。でも、こんなに素敵なブーケにしていただいて、本当にありがとうございます。一生の思い出です」と、目に涙を浮かべて喜んでくださいました。
後日、披露宴でブーケを手に微笑むA様の写真が店に届き、スタッフ全員で「頑張った甲斐があったね」と幸せな気分に浸りました。自分達の仕事が誰かの一生の思い出になるなんて、そんなうれしいことはありません。
真夏に咲かせた紫のバラは、私たちフローリストにとっても忘れられない思い出となったのです。
【体験者:60代・会社員、回答時期:2025年8月
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
【EPライター】Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。