お馴染みのお客様
私がフラワーショップで働いていた時、週に一度お見えになる70代位の奥様がいらっしゃいました。楚々とした佇まいの奥様は、いつも小ぶりで控えめな花を好んで選ばれていました。時にはご主人を連れ立って来店されることもあり、並んで花を選ぶ仲睦まじい姿に、「こんなふうに歳を重ねたい」と思ったものです。
ある日、思い切って「いつもどのように飾られていらっしゃるのですか? 」と尋ねると、奥様は「小さな花瓶に入れて食卓に置いているだけよ」と微笑まれました。
その言葉から、丁寧な暮らしの情景が浮かび、花を囲む食卓にきっと穏やかな会話や温もりが広がっているのだろう……そう思うと心が温かくなりました。
特別な日の大輪の薔薇
そんな奥様が赤い大輪のバラを選ばれたことがありました。お会計の際、私が不思議そうな顔をしているのに気づいたのか、奥様は少し照れくさそうに「今日は主人の誕生日なの」とおっしゃったのです。長年連れ添ったご夫婦の、一輪の花に込められた深い愛を感じました。
奥様の不在と残された愛情
しかし、その後しばらくしてご夫婦の姿を見かけなくなりました。体調を崩されているのかと心配しながら3~4ヶ月が過ぎた頃、突然ご主人がおひとりで来店されたのです。
ご主人は淡い色合いの小さな花束をカウンターに差し出し「家内がいつもありがとうございました。こういう花が好きだったんですよね。僕はパッと華やかな花が好きなんだけど」と、ぽつりとつぶやかれました。
その言葉から奥様の不在を知り、胸が詰まりました。ご主人の寂しさと、奥様への深い愛情がひしひしと伝わり、かける言葉が見つからなかったのを覚えています。
花がつなぐご夫婦の絆
それ以来、ご主人は毎週のように花を買いに来られるようになりました。手に取るのは、いつも奥様がお好きだった控えめで可憐な花。そこに、ご夫婦の深い絆を感じずにはいられませんでした。
きっとご主人は、食卓にお花を飾りながら「今日はこんな花があったよ、君の好きな色だね」と、奥様に語りかけているのだろうと思います。
【体験者:60代・会社員、回答時期:2025年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。