優しい人だと思っていた
私の家の近くには、昔から「猫屋敷」と呼ばれている古い一軒家がありました。そこには60代後半くらいの男性が1人で住んでいて、捨て猫や弱った野良猫を見つけるたびに保護していたのです。近所でも「あの人、優しいよね」と言われていて、私もたまに猫缶を差し入れしていました。
ただ、年月が経つにつれて、家の様子が少しずつ変わっていったのです。庭には大量の猫用の食器。窓はほとんど閉め切られ、夏になると独特の臭いが風に乗って流れてきました。
近所の人が役所へ相談したこともあったそうですが、役所の人は「本人に悪気はないので」と、大きな対応にはならなかったようでした。その頃から、私は何となくあの家の前を通るのが苦手になっていました。
暗い道で言われた一言
ある夜、ゴミ出しに行った帰りでした。猫屋敷の前を通った瞬間、急に後ろから声をかけられたのです。「最近、猫が減るんだよね」振り返ると、あの男性が立っていました。そして、じっと私の目を見ながら言ったのです。「誰か盗んでると思わない?」
暗い道だったこともあり、その視線が妙に怖くて……私は曖昧に笑って、その場を急いで離れました。それから数日後。家の玄関前に、猫缶が置かれていたのです。横には小さなメモ。「協力してください」たったそれだけの文字なのに、なぜか嫌な汗が出ました。
それ以降、私はなるべく関わらないように距離を取るようになりました。
深夜のインターホン
その頃からです。深夜に、突然インターホンが鳴るようになったのは。最初は気のせいかと思いました。でも、何日か続いたのです。モニターを見ても誰もいない。ただ、外から猫の鳴き声だけが聞こえる。
雨の日の夜でした。またインターホンが鳴り、何となく窓の外を見ると、猫屋敷の男性が私の敷地内に入ってきていたのです。驚いて声を上げると、男性は悪びれる様子もなく笑って言いました。「猫が入ったかと思って」
その瞬間、ぞわっとしました。この人の中では、もう普通と異常の境界線が曖昧になっている。そう感じたのです。
善意だけでは止まれない
その後、近隣住民からの苦情が増え、保護団体と行政が入ることになりました。家の中には想像以上の数の猫がいて、床も見えない状態だったそうです。
さらに後日、モニターの録画記録を確認すると、深夜にインターホンを押していたのが、あの男性だったことも分かりました。最初は優しさだったのに……後になって、私はそう考えるようになりました。
猫を助けたいという気持ちは、本物だったのだと思います。でも、人は時々、“良かれと思う気持ち”だけでは止まれなくなることがある。あの夜のインターホンの音を思い出すたびに、私は今でも少しだけ背筋が冷たくなるのです。
【体験者:50代・主婦、回答時期:2026年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:佐藤 栄祠
大手メーカーの営業を経て、ライターに転身。会社員時代に培った経験と、組織の一員であるからこその“喜怒哀楽”をリアルに伝え、「誰かを癒したい」との思いが執筆の原動力。スピリチュアル関連情報にも精通しており、それらに傾倒する人の思いを描いたエピソードも好評。