かけがえのない「2時間」
私は2人の小さな息子の母です。2年前、義母が車椅子生活になったことをきっかけに同居が始まり、好きだった仕事を辞め専業主婦になりました。
義母の介護と手のかかる盛りの息子たちの世話、そして家事。目の前の役割をこなすだけで1日があっという間に過ぎていき、自分の時間など全くない毎日。
そんな私を見かねたのか、夫が提案してくれたのが、週に一度の書道教室。土曜日の午後のほんの2時間、凛とした空気の中で半紙に向き合う時間は、母でも嫁でも妻でもない「ただの私」に戻れるひとときでした。その時間があるからこそ、また1週間頑張れる――そう思えるようになっていました。
偶然の巡り合わせ
教室の翠先生は、物腰が柔らかく落ち着いた雰囲気の女性。この先生なら長く続けられそう――そう思っていた矢先のことです。長男の幼稚園の入園式で、ばったり翠先生とお会いしました。 翠先生のお嬢さんと、私の息子が同じクラスだったのです。その時は、偶然の巡り合わせを嬉しく感じました。
しかし、幼稚園の行事で顔を合わせる機会が増えていくと、胸の奥に小さな引っかかりが芽生えます。ママ友の輪の中にいても、翠先生は私には「先生」としての口調で話しかけてくるのです。 そして私もまた、つい「翠先生」と呼んでしまう。私たちの関係は、幼稚園でも「師弟」そのものでした。
境界線を引き直した「ママ友の一言」
幼稚園のバザー準備で、数人のママたちと作業をしていたときのこと。「瑤子さん、明日までに名簿を揃えてくださる? それとコピーもよろしくね」翠先生は、いつものように教室と変わらない調子で私に声をかけてきます。そのとき、隣にいたママ友が、ふっと笑って言いました。
「翠さん、まるで先生みたいね。瑤子さんはここでは生徒じゃないのよ」その一言に、翠先生はハッとした表情を浮かべました。そして私もまた、自ら「弟子でいなければ」という思い込みに縛られていたのだと気づいたのです。
役割の線引き
それ以来私たちは、教室では「師弟」、幼稚園では「ママ友」として付き合うようになりました。胸の中でくすぶっていたモヤモヤも解消し、翠先生と自然な距離感で接しています。
家庭では、「母、嫁、妻」、書道教室では「弟子」と、その場に応じた役割がまとわりついてきます。だからこそ友人との関係だけはフラットでありたい、つくづくそう実感したのでした。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2026年2月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。