夫の口癖「一口ちょうだい!」
私は夫の和也(仮名)と外食に行くのが好きで、ふたりでお店を開拓するのが小さな楽しみになっています。ただ、ひとつだけずっと気になっている癖があります。夫は、ほぼ毎回と言っていいほど「一口ちょうだい!」と笑顔で言ってくるのです。
彼にとって“シェア=仲良しの証拠”。愛情表現のようなものらしく、悪気はまったくありません。ただ、私はどちらかというと“自分の好きなものを、自分のペースで、好きなだけ食べること”が一番の幸せ。誰かにあげたくないというより、単純にリズムが乱れるのが苦手なのです。
でも夫が嬉しそうに言ってくるので「嫌だ」とは言えず……小さなモヤモヤだけが心の中に積み重なっていきました。
妻のちょっとした好奇心
ある日、いつものように外でデザートを食べることになりました。夫は、自分の大好物である少し高めのプリンを嬉しそうに前に置き、わくわくしながらスプーンを入れていました。
(ああ、本当に好きなんだな)と微笑ましく思うと同時に、ふとあることを思いつきました。私は、半分冗談のつもりで言ってみます。「ねぇ和也、それ……一口ちょうだい?」
大好物を「ちょうだい!」された夫
その瞬間、夫のスプーンがピタッと止まりました。わずか一瞬でしたが、びっくりするほど分かりやすいためらいがありました。そして、次の瞬間。「あ……こういう気持ちだったんだ……!」
夫は目を見開いて、心からの納得という顔をしました。私が普段感じていた、ちょっと惜しいような気持ちが、一瞬で伝わったようでした。
私はすぐに「冗談だからね、無理にちょうだいとは言わないよ」と笑いましたが、夫は「いや……なんか、ごめん」と真剣な表情に。プリンひとつで、ここまで価値観を共有できるとは思っていなかったので、こちらも驚きました。
お互いが心地よい食卓に
その日を境に、夫は必ず最初に聞いてくれるようになりました。「今日は交換していい日?」
「それとも、シェアなしの日?」その言葉ひとつで、私はすごく気持ちが楽になりました。
無理に合わせる必要もなく、好きなように食べられる。そして、シェアしたい気分の日だけ、お互いの料理を分け合う。“夫にとっての愛情表現”と、“私の食べ方のこだわり”が、どちらも否定されることなく尊重されるようになりました。
夫婦の価値観の違いは、大きな問題になることもあれば、こうしてやさしく歩み寄れるきっかけにもなるんだなと、しみじみ思います。そして何より、食事の時間が前よりずっと心地よくなりました。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年3月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:辻 ゆき乃
調剤薬局の管理栄養士として5年間勤務。その経験で出会ったお客や身の回りの女性から得たリアルなエピソードの執筆を得意とする。特に女性のライフステージの変化、接客業に従事する人たちの思いを綴るコラムを中心に活動中。