信心深い叔母の日課
私には、とても信心深い叔母がいます。夫と2人の息子がいて、自分もフルタイムで働きながら、毎朝欠かさず仏壇に水とご飯を供え、お経を唱えるのが日課。どんなに忙しい朝でも、仏壇の前に座る時間だけは必ず確保する、そんな叔母でした。
私は、そんな叔母を尊敬しつつも、自分にはとても真似できないと感じていました。現代の慌ただしい生活の中で、毎日仏壇に向き合う意味が、いまひとつ理解できなかったのです。
突然の別れと深い悲しみ
ある年のこと。親戚中に衝撃が走りました。叔母にとっては姪、私にとっては従姉妹にあたる多恵ちゃん(仮名)が、不慮の事故により亡くなったのです。まだ30歳という若さでした。
あまりに早すぎる突然の別れに、親戚一同が深い悲しみに包まれました。 特に、幼い頃から多恵ちゃんを可愛がっていた叔母の憔悴ぶりは見ていられないほどでした。それでも叔母は、涙をこらえ、いつものように仏壇に向かい、静かに手を合わせ続けていたのです。
四十九日の法要で明かされた事実
叔母から不思議な話が明かされたのは、四十九日の法要の席でした。「多恵ちゃんが亡くなってから三日間、不思議なことがあったの」叔母によると、毎朝供えている仏壇の水が、お経を唱え始めると、まるで沸騰したお湯のようにブクブクと音を立てて泡立っていたというのです。
その場にいた誰もが驚き、叔母の顔を見ました。その現象は三日間続き、四日目から徐々に弱まり、一週間ほどでぴたりと止まったそうです。「きっと、多恵ちゃんの魂が安らかになったんだと思う」叔母はそう言って、静かに目を閉じました。
祈りの力が届く場所
私は話を聞きながら、言葉にならない感情に包まれました。科学的に説明できることなのか、それとも本当に多恵ちゃんの魂が関係していたのか――それはわかりません。ただ、信じる信じないは別として、叔母の毎朝の祈りが、多恵ちゃんの魂を導いたのかもしれない。そう思うだけで、叔母への深い感謝の気持ちが湧いてきました。
「そこまでしなくても」と思っていた叔母の日課。でもそれは、見えない誰かを想い、手を合わせ続けることの大切さを教えてくれていたのです。突然の別れの悲しみの中で、叔母の祈りは、残された家族の心にも静かな安らぎをもたらしてくれたのでした。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2021年8月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。