Aさんとの出会い
私が看護師として働いて4年目の頃、胃がんで2度の抗がん剤治療を経て手術を受けるために入院してきた70代の男性がいました。
Aさんのご家族はとても熱心で、奥さん・娘さん・お孫さん2人の誰かが必ず毎日20分の面会時間に顔を出していました。家族の温かさに包まれていたAさんは、私にとって印象深い患者さんです。
厳しい選択
手術後しばらくは順調に回復していましたが、ある日の嘔吐をきっかけに呼吸状態が急激に悪化。
人工呼吸器が必要になるほど、全身状態が悪くなりました。
主治医からご家族に「このまま命を繋ぐ治療を続けるか、あるいは痛みを和らげながら最後の時を迎える準備をするか」という選択の説明がされました。家族はその場では答えを出せず、涙ながらに「手術が終わったら、温泉旅行に行くはずだったのに」と話してくれた姿が忘れられません。
しかし、翌日には「命を繋ぐ積極的治療を望む」という結論を伝えていただきました。
命をつなぐ時間
その後2週間、Aさんの状態は安定せず、弱っていく姿を家族も辛い思いをされながら見守っていました。それでも病室ではAさんの仕事の話や、お孫さんとの約束など、励ましの言葉が絶えませんでした。
そんなある日の午前、Aさんの心電図モニターが警告音を鳴らしました。しかし、急いで心肺蘇生を行ったことで家族が到着した時には奇跡的に心臓が動き出したのです。
ただ、主治医からは「またいつ止まってもおかしくない」と説明され、「最後は家族全員そろって迎えたい」という意向になったようです。
家族に見守られた最期
その日は平日でしたが、お孫さんまで揃っているので不思議に思い私が尋ねると、「今日はみんなで温泉旅行に行く予定だったんです」と教えてくれました。
その予定があったおかげで、家族全員が病院に集まっていたのです。
そして夕方、再びAさんの心臓の動きは弱くなり、そのまま最期の時を迎えました。家族から「ありがとう」「大好きだよ」と声をかけられながら旅立つ姿はとても穏やかで、あたたかなものでした。
お見送りの際、娘さんが「こうしてみんな揃っていたし、今日でよかった」と微笑みながらこぼした言葉に胸が熱くなりました。
私が学んだこと
Aさんの最期を通して、私は「家族に見守られて旅立つことの尊さ」を深く感じました。
Aさんのように愛情に包まれた家族を築き、私自身もいつか大切な人たちに見送られながら最期を迎えたい。そう強く思う出来事になりました。
【体験者:20代・看護師 回答時期:2021年10月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています
EPライター:saya.I
総合病院で看護師として勤務を通して、介護や看護の問題、家族の問題に直面。その経験を生かして現在は、ライターとして活動。医療や育児のテーマを得意とし、看護師時代の経験や同世代の女性に取材した内容をもとに精力的に執筆を行う。