~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~
今回は筆者本人が実家で体験した、ちょっと不思議なエピソードを紹介します。自然や草花が好きだった私の父は、実家の庭にも四季を感じられる木や花をたくさん植えていました。そんな中、ある年に植えた1本の木は待てど暮らせど花を咲かせません。それでも父は「いつか咲くさ」と笑うのでした。

父が愛した庭と1本の木

私の父は自然が大好きな人でした。山で山菜やキノコを採ってきたり、川でイワナやヤマメを釣ってきたり。それを私たち家族に振るまってくれていました。

植物ももちろん好きだった父。季節の移ろいを身近に感じられるようにと、実家の広い庭にはたくさんの木々や花々が植えられ、春には桜、秋には紅葉と、四季折々の彩を楽しませてくれました。

ある時、父が選んだのは“ねむの木”。庭の中でもひときわ目立つ、池のそばに植えられました。「この木はどんな花が咲くの?」私がそう聞くと、父はニコニコしながら「咲くのを楽しみに待っていよう」と話していました。

花を咲かせない木に、父は

しかし、ねむの木は何年経っても花を咲かせません。周囲の木々は季節ごとに色づくのに、その木だけは、いつも静かにそこにあるだけ。

私はふと父に尋ねました。「もしかして、これ、花が咲かない種類なの?」父は「大丈夫。そのうち咲くさ」と、変わらない笑顔で話してくれたのを覚えています。

父のいない夏

そして、ねむの木が植えられてから10年目の7月。父はねむの木の花を一度も見ることなく、病気のため帰らぬ人となりました。青々としたねむの木の葉が、風に揺れていました。

その翌年のこと。父の命日が近づくある日、ふと庭を見ると、今まで一度も花を咲かせなかったねむの木に、淡いピンクの花が咲いていたのです。

思わず庭に出ると、一緒にその様子を見た母は微笑みながら「不思議だね。今まで何年も咲かなかったのに……」と呟きました。まるで、父の魂がその木に宿って花を咲かせたような、そんな気がしてなりません。

きっと今もあの笑顔で

それからというもの、ねむの木は毎年、きれいな花を咲かせています。

生前、いつも父が座っていた池のほとりにあるベンチ。きっと父は今も座って眺めているのかもしれません。風に揺れるねむの花を見るたび、「そのうち咲くさ」と言っていた父の笑顔が浮かびます。

【体験者:40代・女性パート、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

EPライター:hiroko.S
4人を育てるママライター。20年以上、接客業に従事。離婚→シングルマザーからの再婚を経験し、ステップファミリーを築く。その経験を生かして、女性の人生の力になりたいと、ライター活動を開始。現在は、同業者や同世代の女性などにインタビューし、リアルな声を日々収集。接客業にまつわる話・結婚離婚、恋愛、スピリチュアルをテーマにコラムを執筆中。

This article is a sponsored article by
''.