【プロフィール】
石原まどか(ジュエリーデザイナー)
1983年生まれ、長野県出身。武蔵野美術大学卒業後、ミラノのマランゴーニ学院でファッションを学び、首席で卒業。アルマーニやイザベラ・トンキ氏のもとで経験を積んだ後、自身のバッグブランドを設立。現在は、イタリア人夫が営むジュエリーショップ「YURIKO」でデザイナーとして活動中。2児の母として家庭と仕事を両立しながら、日伊の文化をつなぐものづくりを目指している。
ワクワクは、洋書から。「布」が好きだった幼少期
まどかさんがファッションに魅了されたきっかけは、地元の本屋に並んでいた洋書でした。長野県の飯田市という彼女の地元の本屋さんにELLEやVOGUE、さらにイタリアの雑誌が並んでいて、当初は海外のファッション誌を読み漁っていたと言います。ページをめくるたびに感じたワクワク感は今でも忘れられないそうです。
そう話す彼女は、幼少期から「布」そのものが好きで、保育園にあったカーテンのサンプル布をこっそり取って、家に持ち帰るほどだったと言います(笑)。
「年齢を重ねるにつれて、布への興味が強まっていったんだと思います。例えば、人形に洋服を作ったり、椅子が壊れたときは、布屋さんで好きな布を選び、自分で貼り替えたこともありました。こうして作ったものを母親に見せて褒めてもらえたことも嬉しかったんです」。こうした小さな創作の積み重ねや喜びが後のキャリアを形作る大きな原動力となったのです。
ファッションと人に魅了されて選んだ、ミラノ
中学・高校時代から海外のファッションに憧れを抱いていたという彼女。 周囲の友人たちが、当時一世を風靡していたコムデ ギャルソンに夢中になる中、 まどかさんは2000年代のプラダやミュウミュウに魅了され、特にそのデザインから大きな影響を受けたといいます。
しかし、日本のファッション学校にはあまり興味がわかず、絵を描くことが好きだったこともあって、武蔵野美術大学で空間演出デザインを専攻。それでも、やっぱりファッションについてもっと学びたいと思い、大学最後の年にはファッションコースを受講したそうです。そして、卒業後にはイタリアのミラノにあるマランゴーニ学院に留学を決意。
「イタリアに旅行したとき、イタリアのミニマルでリアルなファッションと、イタリア人の愛情溢れる人柄に惹かれました。留学の決断は簡単ではなかったけど、両親のサポートのおかげで、ミラノで新たなスタートを切ることができたんです」
「首席卒業」がくれた、ファッションデザイナーへの第一歩
上:「A|X アルマーニ エクスチェンジ」でデザイナーをしていた頃の作品。自分がデザインしたものが広告に起用。下:イザベラ・トンキさんの元で働いていた頃にデザインした「i BLUSE(イ ブルース)」の雨をテーマにしたワンピース。
Photos:Gioielleria YURIKO
ミラノへの留学を決意した彼女でしたが、現地の授業はすべてイタリア語で行われていたため、大学卒業から学校が始まる9月までの間、語学学校に通ってイタリア語を学んだそうです。イタリア語は決して簡単に習得できる言語ではなく、授業についていくために必死に勉強したといいます。
「留学を許してくれた両親の期待に応えたい、結果を出したいという思いで猛勉強しました。その甲斐あってか、ファッションコースを首席で卒業。学校が就職先を紹介してくれました。何より、両親に恩返しがしたかったのでミラノで就職が決まった時は本当に嬉しかったです」と当時の思いを振り返りながら話してくれました。
初めての就職は「A|X アルマーニ エクスチェンジ」。仕事は順調に進んでいましたが、メンズラインということもあり、まどかさんがやりたかったデザインの方向性と合わず、2年で退社。その後、イタリアのファッション界で活躍していたイザベラ・トンキさんと出会い、意気投合し、一緒に働くことになったと言います。
「彼女はデザイナーとしても尊敬できる存在で、好みも似ていたので、すごく刺激的でした。何より、もともとミュウミュウで、ミウッチャ・プラダさんと働いていた方なので、ミュウミュウが好きでイタリアに来た私にとってとても名誉なことだったんです」と彼女との共演がまどかさんにとって大きな成長の機会となったと言います。
アパレル、バッグ、ジュエリー・・・新たな挑戦
自身のバッグブランド「le bateau de Madoka」立ち上げ当初は、YURIKOにて販売。シーズンごとにインスタレーション形式で展示を行っていた。
Photos:Gioielleria YURIKO
順調にアパレルデザインのキャリアを築いていたまどかさんでしたが、友人に誘われて訪れたジュエリーショップ「YURIKO」のオープニングパーティーで、オーナーのアレッサンドロ・フォルナジエロと出会い、人生の転機が訪れます。そして、結婚後は、イザベラさんの仕事を減らして、イタリアの革を使ったバッグブランド「『le bateau de Madoka』を立ち上げたそう。しかし、革の買い付けから、デザイン、制作、すべてを1人でやっていたため、長女が生まれ、子育てとの両立が難しくなり、バッグ制作を断念することにしたと言います。
その後、娘が保育園に入ったタイミングで、デザイナー復帰を考えていたところ、夫からジュエリー制作を提案され、ジュエリーデザイナーとしての道を歩み始めることに。
「最初は、ファッションの仕事がしたくてミラノに来たので、ファッションデザイナーを続けたいという葛藤もありましたが、今はジュエリーに深い魅力を感じています」とまどかさん。
初めてジュエリーが売れた時の喜びと決意
アパレルからジュエリーへの転職は、決してスムーズなものではなかったといいます。
「もともと手先が器用だったので、技術的には問題なかったのですが、ファッションとジェリーは素材そのものが異なりますし、デザインのイメージやアイデアがまったく浮かばなくて、すごく苦労しました」
加えて、イタリアは日焼けする文化があるので、日焼け肌に映えるゴールドジュエリーが好まれますが、日本人はシルバーを好む傾向にあり、国民性や文化の違いでも困惑することがあったと語ります。それでも、初めて自分のジュエリーが売れた瞬間、まどかさんは創作の喜びを改めて実感したと話します。
「初めて私のジュエリーが売れて、ファッションデザイナーをしていた頃に感じた、あの喜びと同じ気持ちになったんです」。この経験が、ジュエリーデザイナーとしての道を歩む決意につながりました。
また、まどかさんはジュエリーの魅力をこうも語ってくれました。
「アパレルは自分がデザインしたものでも、色々な人の手が加えられ、実際にお客様に届く頃には誰が作ったのかわからない状態になっていることがあるんです。でもジュエリーは、作ったものをそのままお客様に届けられ、身につけてもらえる。そして、ファッションとは違って、ひとつの作品を長く愛してもらえる。それが一番の魅力だと思います」
子育てと仕事、うまくやろうとしすぎなくていい
左:次男が生まれた頃。子育てと仕事を両立するため日々奮闘。右:イタリアの雑誌「La Repubblica」に取り上げられた記事。
Photos:Gioielleria YURIKO
出産後、生活は大きく変化。家庭と仕事の両立について尋ねると「できる限り頑張るけれど、それでもできないことは、きっぱり諦めることが大切」と話すまどかさん。
以前は、子育てをしながら、ジュエリー制作やイザベラさんの仕事を抱え、限界を感じることもあったそうですが、今はジュエリー制作に集中しつつ、子どもや家族との時間を大切にできているんだとか。
「おかげで、バランスの良い生活が送れています」まどかさんはそう話しながら、穏やかな笑顔を見せてくれました。仕事の時間をしっかり確保しつつ、家族との時間を大切にすることで、自分の心の余白も意識的に作るようにしているそうです。
結婚と出産を経て、自分自身も大きく成長
「結婚や出産で仕事がペースダウンすると考えられがちですが、私にとってはむしろ、大きな成長のチャンスでした。仕事に復帰した時、さらにパワーアップできたと実感しました」
まどかさんは、その変化を前向きに捉えることで、自分の可能性が広がったと話してくれました。
「子供が生まれたことで、内向的だった自分が変わり、接客に自信が持てるようになり、お客様に対しても、作品に対しても、母親としての愛情をもって接することができるようになりました」母親としての視点が、仕事にも大きなプラスになったと語ります。
どんな時も自分らしく。夢を追い続けるためのヒント
左:美しいグリーンアメジストを使ったブロンズリング。右:天然石、ルチルクォーツ(イエロー)とグリーンアメジスト(グリーン)のリング。
Photos:Gioielleria YURIKO
「女性の人生は多様だと思うので、他人と比べるのではなく、自分がワクワクすること、本当にやりたいことを追い求めれば、道は必ず開けると思います」
まどかさんは、これからクリエイティブな仕事を目指す女性たちに対し、自由に自分の道を切り開く勇気を持ってほしいと語ります。結婚や出産という人生の節目をチャンスとして捉え、柔軟に対応していくことが、好きなことを長く続けられる秘訣だと語っています。
日本とイタリアを結ぶ架け橋として、モノづくりを通じて伝えたいこと
ここ数年、新型コロナウイルスのパンデミックやロシア・ウクライナ戦争の影響で、日本が少し遠い存在に感じられるようになったと語る彼女。
「イタリアの良さを日本に、そして日本の良さをイタリアに伝える架け橋のような存在になりたい。ジュエリーという枠にとらわれず、人の心に残る『モノ』を作り続けていきたい」と語るその背景には、店頭に立って接客するなかで出会う、親日家のお客様の存在があるのだとか。
「日本人というだけで信頼してくださる方も多く。その期待に応えたい、日本の『信頼できるものづくり』の側面を守りたいという思いが強くなりました」まどかさんは今後YURIKOのジュエリーを日本でも展開し、日本とイタリアの文化を「ものづくり」を通じてつなぐことを目指しています。
ジュエリーにおいては、「ナチュラルブロンズ」という素材を日本でもっと広めていきたいと話してくれました。
「YURIKOで扱うブロンズは、メッキ加工を施しておらず、素材そのものの落ち着いた美しさが特徴です。金や真鍮ほど黄色みが強くなく、肌なじみがよい自然な色味です。こすっても色が剥がれず、丁寧に手入れすれば美しさを損ねることなく、長くお使い頂ける可能性を秘めた素材です」
「創ること」が生きる力。私を支える創作の原動力
左:華奢なパールを施したブレスレット 右:天然石を使ったフープピアス
Photos:Gioielleria YURIKO
「ひたすら何かを創ることが私の使命。過去の作品を振り返って、自分の作ったものからエネルギーを感じることができる。私にとって『創ることが、生きること』なんです」
まどかさんにとって、創作は単なる仕事にとどまらず、人生そのものです。幼少期から感じていたものづくりの楽しさ、ミラノでお客様と交わす言葉や笑顔・・・それらすべてが今の彼女を支え、創作へのエネルギーとなっています。今後もジュエリーを通じて、より多くの人々に喜びを届けていくことを心から願っています。
ジュエリーショップ、YURIKO
ショップ名「YURIKO」は、もともとオーナーであるアレッサンドロ・フォルナジエロが名付けたもの。日本人の名前「ゆりこ」の響きをとても気に入り、店名にするほどだったそう。
ミラノの静かな一角にひっそりと佇むジュエリーショップ「YURIKO」は、上質なブロンズと天然石を組み合わせた手作りの温もりを感じるジュエリーが並びます。「有機的で身につけられる彫刻」をコンセプトにオリジナルジュエリーをはじめ、4人のジュエリーデザイナーの作品を展開。作り手から直接購入できるというのも魅力的です。ぜひ、ミラノを訪れた際は足を運んでみてください。
【YURIKO GIOIELLI】
住所:Via della Moscova, 27, 20121 Milano
TEL:+39 02 3966 3485
yurikogioielli.com
営業時間: 月〜土曜:10:00~19:00
日曜定休
Photographer & Senior Writer:Aco.H